ウクライナ侵略から3年半 ローマンさんにインタビュー
2025夏 ローマン・ミロツスキーさんインタビュー
7月12日、当会は本学特任助教のローマン・ミロツスキー先生(ウクライナ・ルハンシク州セベロドネツク出身)にインタビューし、ロシアによる侵略開始から3年半の思いをお聞きした。


ルハンシク州とドネツク州を合わせてドンバス地方と呼ぶ。この地域の大部分は、ロシア軍によって占領支配されている。ローマンさんの故郷であるルハンシク州セベロドネツクの街も現在、ロシアの占領下にある。
故郷・セベロドネツクの現状と幼なじみの戦死、故郷を離れた人々は今・・・
―セベロドネツクの状況について教えてください。
故郷についてか…。いまはもうセベロドネツクには僕の友人は残っていないけど、母は残っている知人に連絡をとってるよ。街は時間が止まってしまっている。プーチンが「ドンバスを再建する」と豪語したわりに一つの工事も行われていないんだ。3年前と全く同じように破壊されたまま。セベロドネツクでは何故かモバイルネットワークが機能していなくて、母と電話する相手はセベロドネツクから100キロ離れたルガンスクまで移動しなければならない。電話のために100キロだよ。今は何が起きているのか知るのも難しいんだ。ロシア側の言う"明るい未来"なんてない。
母は自分のアパートのことを心配している。彼女の友人の中にはアパートの部屋をロシアの軍人に接収された人がいるんだ。ロシア兵はウクライナ人のアパートに勝手に居着いて、自分の家族を呼び寄せるんだ。ウクライナの人が避難して誰も住んでないのを良いことに、アパートをタダで手に入れるんだ。ルールも法律もあったものじゃないよ。
―病院や学校はどうですか?
病院にはロシア軍の死傷者が運ばれてるみたいだ。何でか分からないけど、チェチェン人も多いみたいだね。セベロドネツクは病院の質が良いことで有名なんだよ。僕の母も働いていた。
戦争の前には20くらいの学校があったけどいまは1つだけだ。そこではロシア国旗がひるがえり、子どもたちをロシア人として洗脳するためのプロパガンダが進んでいる。あまり子どもは残っていない。誰もそんな学校に通いたくない。僕が通った学校は攻撃を受けて穴だらけだよ。
―2月に幼なじみが戦死されたと報道で知りました。
僕の祖父母は田舎に家があって、そこの友人なんだ。夏はいつも一緒に川で泳いだりしたよ。彼は警察官で、軍では特殊部隊のメンバーだったようだ。彼に何が起きたのか詳しくは分からない。もちろんすごくショックだった。彼が亡くなったと理解したとき何も考えられなかったよ。これが戦争のリアリティーなんだ。
その他の友人は多くがいまも前線にいるよ。歴史の先生は3年前からずっとだ。昨日キーウの友人に話を聞いたんだ。最近キーウはロシア軍の激しいドローン攻撃にあっているんだけど彼は言っていた「僕は哲学的に捉えようとしてるんだ。自分が無力だと思ってしまうと心が折れてしまうから」「状況は厳しいけどもう慣れた」って。でも彼らは夜はバスルームで寝てるんだよ(※)。これは何も特別なことじゃないんだ。そんな状況が3年続いて精神的に慣れてしまったんだね、ミサイル攻撃にも何もかもに。僕には想像もできない。君たちもそうだよね。毎晩毎晩警報が鳴る。どうして慣れることができる?
(※爆撃による破片から身を守るために、夜は窓のないバスルームや廊下に布団を敷いて眠るという人が多いそうです。)
―故郷から避難した人々の生活はどうですか?
母から聞いたんだけど、別の街に避難していたある家族の母親が突然セベロドネツクに戻りたいと言ったらしい。2人の娘のうち下の子は母親に付いていくと言ったんだけど、今セベロドネツクに戻るとすると、モスクワのシェレメチェボ空港を経由する必要があるんだ。そこで査問を受けたり携帯をチェックされたりして、90%の人は通過を拒否されるんだ。携帯のなかにウクライナの旗の画像があったり、友人とウクライナ語で会話したチャットが残っていると、すぐさま拒否されるんだ。ロシアは元の場所に戻るためのチケットをその人に渡して帰らせるそうだよ。
―どういう理由で占領された地域に戻るのですか?
自分のアパートを売るためみたいだね。さっきも言ったけど、空き家になった部屋はロシア人に取られてしまう。そうなる前に売ろうとするんだ。
ドイツに避難した人は、最初は日本と同じように生活資金がもらえたけど、徐々にもらえなくなったそうだ。若い人はまだいい。仕事も見つけられるし、言葉も覚えられる。でも年配の人はそうはいかない。それでウクライナ国内に戻ってきても、故郷じゃない場所には自分のアパートもないし、状況はドイツに避難してるときと同じだ。しかも今、ウクライナの物価はすごく高くなっているんだ。家賃は小さな部屋で4万5000円する。金沢と同じくらいだけど、ウクライナは日本より給与水準が低いからウクライナ人にとってはとても高いんだ。そんなところには住めない。だから、「少なくとも自分のアパートはある。故郷に帰るしかないか」となるんだ。彼らがロシアを支持しているとは思わないし、侵略を支持しているとも思わない。なんというか「絶望」だよね。様々な状況や理由があると思うよ。
プーチンを震撼させたウクライナ軍の「クモの巣作戦」、トランプについての考え
―ウクライナ軍の「クモの巣作戦」以来プーチンは攻撃を激化させていますね。かなりこの攻撃に追いつめられたのだと思います。
テレグラムで「ドローンのような何かが戦略爆撃機を攻撃し炎上」のニュースを見て、最初は信じられなかったね。誰もこんな作戦は予測していなかったんじゃないかな。ウクライナはドローンかそのパーツをロシア国内に輸送した。そしてウラル山脈の東、チェリャビンスクに拠点をつくりドローンを設置したんだ。とてもリスキーだけどスマートな作戦だと思う。ロシア軍の戦略爆撃機を破壊したというだけじゃなく、いまやプーチンは恐怖しているだろうからね。同じことがいつでも起こりうる。ただ車が来てドローンが飛んでいるだけでもどうすることもできない。この作戦の後、ロシア政府は警察官の数を増やしたそうだよ。より注意深く車を、そして全てを監視しようとしているんだ。この作戦は将来、軍の学校の教材に載るんじゃないかな。
―核を搭載できる爆撃機を破壊されて、プーチンはとてもショックを受けていると思います。
そうだね。あの戦略爆撃機はソ連時代からのとても古い型のもので、壊されたら新しい物を作れないからね。プーチンはこの機体を誇っていて、戦争の初期からずっと使ってきた。それが壊された意味は大きいよ。
―トランプについてどう思いますか?
トランプはいつも同じ手を使うよね。ワシントンにゼレンスキーが行った時みたいに、一度は圧力をかける。でも数日後に「ゼレンスキーは偉大な大統領だ」と言ってみせる。トランプはこの戦争を終わらせたいと思ってるだろうけど、どうやって終わらせるかが分からないんだろう。彼は最初の頃はゼレンスキーに圧力をかけて軍事支援を止めようとした。ヨーロッパがウクライナを見捨てると考えていたんだろう。だけどその予想に反して、ヨーロッパはウクライナに武器を売却している
同時にトランプはプーチンにも圧力をかけている。プーチンは口では「戦争を止めたい」と言うけど、実際は違う。ロシア軍は、毎晩ウクライナの市民・インフラ設備・家々といった全てを攻撃しているからね。これを見てトランプは、「戦争をやめたくないのはロシアだ」と思ったんじゃないかな。
トランプを「クレイジー」と考える人もいるけど、彼は順を踏んで考えているんだと思うよ。
―ウクライナとアメリカの間の資源協定についてどう考えますか?
率直に言って、あれは政治的な動機に基づいたものだと思うよ。トランプはアメリカ国民に対して、「これだけの物をウクライナから手に入れた」「アメリカがウクライナに費やした金を取り返した」と示したいんだと思う。僕はそれほど深くは勉強していないからあくまでイメージなんだけど、天然資源量は上に見積もりすぎなんじゃないかな。実際はトランプが言ったより少ないんじゃないかと思ってる。トランプにとってはこのディールを成功させて、選挙で彼に投票した人々に対して示すことこそが重要なんだ。
―もしウクライナが核兵器を持っていたらロシアは攻撃しなかった、という意見についてどう思いますか?
それはそう思うよ。多くのウクライナ人は、ウクライナが1994年にアメリカ、イギリス、フランス、ロシアと共にブダペスト覚書に署名したことを残念に思っているんだ。この合意はウクライナの核兵器放棄に関するものであり、これらの国々はウクライナの領土に何かあれば助けると言った。その結果ウクライナは核兵器を手放したけれど、彼らは守らなかった。ロシアはこの協定の署名国のだったにも関わらず、ウクライナを攻撃した。
核兵器を放棄するのはいいが、ブダペスト覚書は強力ではなかったんだろう。多くの細かい点があってロシアはそれを使い、「署名はしたが重要ではない。約束はしてない」と言うんだ。もし仮に、どこかの国がウクライナを攻撃したらアメリカが兵を派遣すると明記されていたら話は違っただろうけど。それがウクライナにとっての大きな過ちだし本当に悲しい。
プーチンは自分の命を脅かすものに怯えていて、いつも自分より弱いものを攻撃するやつだ。プーチンは、今のウクライナにロシアの攻撃に対応するための武器がないことを分かっているからこそ、簡単にウクライナを攻撃できる。だから、多くのウクライナ人はヨーロッパやアメリカがプーチンに対して本当の強さを示すように求めているんだ。そうすれば初めて、プーチンは理解するだろう。ただ、彼と外交ができるとは思えない。彼は何度も嘘をついてきたからだ。悲しいがそれが現実だ。我々は核兵器を持っていない、だからプーチンはやりたい放題して自分の好きな事をやっているんだ。もちろん僕の意見としては核兵器には反対だよ。全ての国が一斉に核を放棄できるのならそれが理想だと思う。
ウクライナの戦争は友人や同盟国のアメリカ、そしてヨーロッパも完全に信用出来ないことをはっきりと示した。日本もアメリカを善良な外国人のように見ない方が良いと思う。日本の人々や政府、自衛隊だけでどうにかするということを考えなければならないんじゃないかな。多くの国が「プーチンが攻撃したら支援する」と約束したが、実際にことが起こると武器の提供以外は…それがウクライナの現状だからね。
ウクライナの人々は、他の国々がウクライナを支援しなくても自分たちの力で戦い続けている。これは素晴らしいことだと思う。今でも、もしアメリカが軍事支援を止めたとしても多くの人は戦う準備ができていると言っている。彼らは持っているもので戦い続けるだろう。
―以前のインタビューでは「戦争が終わったらゼレンスキーは去ったほうが良い」とおっしゃっていましたが、なぜそのように思うのですか?
今でもそう思うけど、それがいつかは難しい問題だね。今ウクライナの社会は戦争の最中にある。毎日が戦争で、それは人々を連帯させ、強い紐帯で結んだんだ。それは大統領と人々との間もそうだ。ゼレンスキーは最も必要な時にウクライナに留まった。戦争がまさに始まった2月、ゼレンスキーは決して逃げなかった。キーウはほとんど包囲されていたにも関わらず、ゼレンスキーはキーウに残ったんだ。当然ウクライナの人々は彼をヒーローのように思っている。
ゼレンスキーを取り巻く一部の政党の腐敗に関する情報はあるよ。それは悪いことだしもちろん重要だけど、とにかく今は大きな戦争中だ。人々はゼレンスキーを本当に信頼しているし、ゼレンスキーに今すぐの退陣を求める候補者はあまり見ないな。
僕はゼレンスキーにとって今が終わりを迎える良いときだとは思わない。なぜなら、プーチンが彼を憎悪し激怒しているからね。プーチンはゼレンスキーを同じレベルの相手だと見なしていない。でもプーチンは3年間彼を取り除くことができなかった。だから彼はトランプに対して、選挙をやってゼレンスキーを変えるように言ったんじゃないかな。そしてトランプはゼレンスキーのことを好きではないと思う。トランプとプーチンは、どちらも「偉大さ」を強調し自分自身を大きな政治家とみなしているところが似ているね。でもゼレンスキーはただのコメディアンから政治家になった。偉くないんだ。だからこそ彼らはなんとかしてゼレンスキーを取り除きたいんだろうね。でも僕が知る多くのウクライナ人が彼を支持してるんだ。
もしゼレンスキーがウクライナのヒーローになろうと思うのなら、いつか彼は辞めなくてはいけないと思うよ。でもそれは戦争が終わった後だ。戦争後も残り続けるのは彼にとっても良くないことだと思うんだ。戦争が終わった後はとても難しい時になるはずだ。なぜなら人々のメンタリティが変化するから。今はウクライナの人々は連帯し戦争に集中している。ロシアという共通の脅威が存在するからだ。しかし、戦争が終わったら人々はそれぞれの生活をするようになるからね。どうやって国を立て直すのか? それは別の人が担当した方がいいと思うけどね。
戦火から逃れてきた母・オレナさんの体験、日本で受けている支援について
―オレナさんが日本まで避難する途中、危険はなかったのですか? どのビザで来れたのですか?
(※オレナさんは2022年4月にウクライナ西部・リビウからポーランドに出国、そこから日本へと避難した)
とても危ない道のりだった。戦争の最初、セベロドネツクはすごく前線に近かった。ミサイルなども飛んできて、そのたびにシェルターに隠れていた。そんな中で、毎日かどうかは分からないけど、バスが出ていた。バスは50キロ先のまだウクライナの領域だったドネツクの街まで走っていた。そこから電車がでていたんだ。でもセベロドネツクからのバスは時々ロシアのミサイル攻撃を受けた。亡くなった人もいる。とても大きなリスクだ。でも、母は決断した。彼女はバスに乗り、電車駅までたどり着いた。おそらくそこで一晩過ごしたんじゃないかな。ウクライナの他の地域から来た避難民のための特別な場所があるんだよ。彼女はそこで寝て、電車に乗ってウクライナ西部のリビウまで行った。そこまで行けば安全だ。そこから国境を越えたんだ。
ビザは何だったかな…。発行はすごく早かった。3日くらいで日本へのビザは取れたんじゃないかな。最初は短期ビザだったんじゃないかな。おそらく90日間のもの。日本に来たあとは、金沢駅の裏側の在留管理局に行ったんだ。そこでビザを替えて、たぶん1年だったかな。いまは5年間の長期ビザをもってるよ。
―日本の難民申請は厳しいと言われます。私は危険な状況にある人をもっと受け入れるべきだと思います。また、ウクライナ支援で日本ができることはなにかありますか?
それはとても複雑な問題だね。君の言うとおり、日本政府はあまり難民を受け入れようとしていないかもしれない。それが日本に避難したウクライナ人が―僕の母も含めて―実は「難民」ではない理由だ。そういう位置づけではない。でも母は、何というか特別な措置で保護されている。彼女が何かに困ったとき、たとえば仕事が見つからないとか、お金がないとかというときは、日本の在留管理局に連絡すれば特別な保護を受けることができるんだ。
戦争が始まったあと日本にやってきたウクライナ人は公式に難民として受け入れられたわけではないけど、支援はとても手厚かった。正直言って、日本の支援は世界でももっとも手厚いものの一つだよ。ドイツやポーランドやいろいろな国に避難した母の友だちが言うには、日本の支援は他国と比べてもっとも手厚いそうだ。
難民認定を与えるべきかそうでないかを言うのは僕にとっては難しいな…。個々のケースによるからね…。たとえば僕はアフガニスタン人のケースを知っている。アフガン戦争のときだ。アフガニスタン人が日本に来たとき、日本のメディアはほとんど彼らを取り上げなかった。ある種、隠されたといってもいいんじゃないか。多くの人が日本に渡ってきたけど、ほとんど情報はなかった。でもウクライナ人の場合はそのときとは大きく違った。母が成田空港に降り立つと、すぐにメディアが駆け寄ってきて質問をして、歓迎してくれた。だから、日本政府の対応には一定の改善はあったといえるんじゃないかな。僕からは何かウクライナ人支援でこれ以上求めるものはないかな。とても助かっている。
アイデンティティとしてのウクライナ語、ローマンさんのモチベーションの源は
―ウクライナ東部ではロシア語を話す人が多いと聞きました。ローマンさんの母語はウクライナ語とロシア語のどちらですか?
僕はどっちも使っていたよ。多くのウクライナ東部の家庭と同じで、僕の両親はロシア語を話していたけど田舎出身の祖父母はウクライナ語を話し慣れていたから、祖父母とはウクライナ語で話し両親とはロシア語で、という感じだった。学校の授業は全部ウクライナ語だったよ。
だからプーチンが「ロシア語話者を守るための特別軍事作戦」と言ったのを聞いて、とても奇妙に思った。僕の母は全てを失った。アパート、仕事、友だち…。アウディーウカ、セベロドネツク、リシチャンスク…ドンバスの街という街、ほとんどが破壊されてしまった。プーチンは一体ロシア語を話すウクライナ人にどんな良いことをしたって言うんだ? 多くのロシア兵も死んだ。ウクライナにとってもロシアにとっても巨大な惨劇じゃないか。
子どもの頃からロシア語でお喋りしていたけど、僕は一度だってロシア人になりたいなんて思ったことは無い。「ウクライナ語もロシア語も話すけど、僕はウクライナ人だ」と思っていたし、ウクライナで生活してる僕がどうして突然ロシア人になりたいなんて思う?
でもロシアが歴史的に、なんて言うかな…そう、イメージを作ってきたんだ。"ウクライナ語は小作農が話す人造的な言葉。美しくて強いのはロシア語。田舎者はウクライナ語を話せば良いが、都会のハイクラス層になりたいならロシア語を話すべき"というイメージを作ってきて、僕の心にもそれが染みついていたんだ。おかしなことにね。もしセベロドネツクでウクライナ語を話したらこう言われるんだよ、「君は田舎から来たの? どうしてウクライナ語で話すの?」って。祖父母とだけ、あるいは学校ではみんなウクライナ語を話していたよ。でもそれ以外の場ではみんなから「何でウクライナ語を話すの?」って反応される。そんな中で育ったからキーウの大学に入るまではウクライナ語で話すのが恥ずかしかったんだ。でも今は分かっている。これはソ連時代からのプロパガンダの一部だって。だから僕は今はロシア語で話さない。母は時々ロシア語を話すけど、僕はウクライナ語だけだ。ロシア語はタバコを吸うのと同じくらい悪いクセなんだ。このクセを完全に取り除くことはすごく難しいけど、話さないって決めたんだ。
―ウクライナ語や歴史は、ウクライナの人々にとっての大切なアイデンティティなんですね。
日本には、ウクライナとロシアは同じ国だと思っている人がいまだにいるんだよ。でもそれぞれは全く別の国で、別の歴史・言語を持った国だということを分かって欲しい。
―2月の新聞記事で、ローマンさんは「故郷に帰れないことを受け入れ始めている」と言っていて、胸が痛みました。しかし同時に「モチベーションを保つことが大事だ」とも言われていました。どのようにモチベーションを持ち続けていますか?
とても難しいことだけど、今まさにウクライナにいる友人からたくさんのモチベーションを受け取っている。キーウの友人は戦争と破壊のど真ん中にいるけど「大丈夫、僕たちはやってみせる。絶対あきらめない」と言うんだ。それからウクライナのアスリート、例えばボクシングの世界チャンピオンのオレクサンドル・ウシクは、イギリスのタイソン・フューリーに勝ったときにウクライナ国旗を持って「戦争を止めてくれ」とメッセージを発した。状況は悪いけど、僕の友人や同胞は全然希望を失っていない。どうして僕が希望を失うことができる? この戦争が始まったときには、アメリカもその他の国も「プーチンは72時間でウクライナを手にする」と言っていた。それがもう3年だ。とても心配だしもちろんこの戦争を終わらせたい。でも僕はウクライナの人々を誇りに思うんだ。
2週間前に僕は、金沢大学が協定を結んでいるキーウの東ウクライナ国立大でバイオプラスチックの講義をした。融合学域の河内幾帆先生も循環経済の講義をしてくれたよ。こういうことが僕のやる気になるんだ。すごく暗い闇にいて何もできないように見えるときでも、やればできるんだ。一番大事なことは行動だ。小さいなことでもいいから何かをするんだ。これがとても大事なんだ。
―今日はありがとうございました。
君たちのサークルはとてもアクティブだね。ウクライナ人のためだけでなくパレスチナ人のためにも行動している。とても大切なことだよ。(日本語で)頑張って!