22年9月 ローマン・ミロツスキーさんインタビュー
2022年9月26日、当会はウクライナ・セベロドネツク出身のローマン・ミロツスキーさん(本学理工研究域・生命理工学系特任助教)にインタビューを行いました。インタビューでは、プーチン政権による侵略が続くウクライナ出身のローマンさんの生の思いと、金大の学生・教職員へのメッセージを語っていただきました。
なお、インタビューは英語で行いました。日本語訳の責任は当会にあります。
「プーチンはすでにこの戦争に敗北した」
―ロシア軍のウクライナ侵略が始まって七か月が経った今どんなことを感じていますか。
僕はいつも、どれだけの人が亡くなってしまったのか、このことが頭の中にあった。二十一世紀にこんな形でたくさんの人が亡くなるはずがないと思っていたよ。ひたすら野蛮な戦争でたくさんの市民が死んだけど、今僕はプーチンの目的は果たされることはなかった、プーチンはすでにこの戦争に敗北したと強く思っているよ。たくさんのウクライナ人の死が思い起こされる。でも、勝利をもたらしたウクライナの兵士に誇りを感じているんだ。
―侵略が始まったときと今とでは、感じ方が変わったことはありますか。
戦争が始まったときはひたすら衝撃を受けたね。大学でニュースを見て、すぐ母に電話したのを覚えているよ。それから僕の抱く気持ちは息苦しさから怒りへと変わった。プーチン、なぜお前はたくさんの人をそう簡単に殺せるのか、これはゲームなんかじゃない、本当の命なのにと。僕の気持ちには波があった。いいニュースがあればうれしかったし、悪いニュースならば悲しかった。でも今は、ウクライナを助けるために前向きであり続けるべきだと思っているんだ。
―プーチンは今ウクライナ東部・南部をロシアに組み込むための「住民投票」を行おうとしています。
本当にあわれだなと思うね。プーチンの体制はもう死にかけているんだけども、その震える手で最後まで欲望をつかみ取ろうとしているようなものだ。この住民投票も同じだよ。何故なら、ロシア軍はこれ以上攻撃できないし、戦えない。「住民投票」が終わった先には二つのシナリオがある。一つは、プーチンが併合をちらつかせてウクライナを交渉に引き込むこと。二つ目は、交渉など行わず、すぐさまこの地域をロシアに併合してしまうというものだ。そして彼はウクライナに対して、もしこの地域を攻撃しようとしたら、ロシアは核を含めたいかなる兵器でも使うことができると脅すだろう。二十一世紀に核兵器で脅そうとするなんて僕は考えてもみなかった。完全に狂ってる。ヒロシマやナガサキの経験がある日本人はよく分かるんじゃないかな。でも、一番大事なことは、西側諸国がこのごまかしに乗らないことだ。だって、プーチンはチェスをしているんじゃなくてポーカーをしているんだから。これは大きな違いだよ。
―ローマンさんはどんな手段でウクライナ情勢を追っていますか?
テレグラムを使って、ウクライナとロシアのものを見ている。YouTubeでいろんな国の専門家の動画も見ているよ。バランスの取れた情報を得ようとしているよ。ただプロパガンダは読まないね。例えばロシア国防相の報告は完全なフェイクだ。
―テレグラムはウクライナの人々の武器となっていると聞きました。彼らは、テレグラムを使って、ロシア軍の情報をウクライナ軍に伝えているそうですね。
そうだね。テレグラムに掲示板があって、みんなが写真をアップできるようになっているんだ。それを使って、ウクライナ軍は無政府地帯にいる人に写真を撮るよう頼んだり、どこに避難しているかを尋ねているよ。町全体を破壊せずに、ロシア軍だけを攻撃するためにね。
「街の90%が被害を受け、電気もガスも水もない」
―ローマンさんが住んでいたセベロドネツクの街や家はどうなったのでしょうか? ご友人はどのような状況ですか?
街はとても悪い状態だ。建物の九十%が被害を受け、電気もガスも水もない。外で火をおこして料理をし、水を使って体を洗っていた。でも、セベロドネツクの冬はとても寒くて-20℃にもなるし、雪も多い。住人は冬にはどうするのか、僕には想像もつかない。
僕の友人の大多数は親ウクライナ派だった。だけど、僕には一人、ロシア軍には入っていないんだけど親ロシア派の友人がいて、彼はロシアに行ってしまった。とても気まずくなってしまって、彼とは話さなくなった。彼は子どもの頃からの友人で、一緒に育ったんだけどね。僕の友人はみんな無事だと思うけど、今もセベロドネツクにいる人は一人もいない。多くはウクライナ国内の他の地域に行ったけど、ロシアに行った人はほとんどいなかった。
―避難する前お母さんのオレナさんはどのようなことをウクライナで体験したのでしょうか。お母さんは今お元気で過ごされていますか。
戦争が始まったとき、母はセベロドネツクにいた。そこは最初は安全だったけどだんだんと攻撃が激しくなっていき、三月にはシェルターでの生活だ。母は時々、家にシャワーを浴びに行ってはシェルターに戻って寝る生活。こんな生活を強いられた祖母は、爆撃を受けたわけではないんだけど、シェルターで亡くなった。遺体は共同墓地に運び弔った。そして母は西ウクライナへの移動を決め、この四月に日本に来た。母の状態はよいものではなかったけど、時間が経てば良くなっていったよ。母は仕事を見つけて、友達とも出会った。だから日本での母の生活はいいものだと思うよ。だけど、ウクライナへ帰りたがってはいる。ウクライナを完全に取り戻した暁には母も心置きなく帰ることができそうだよ。
―ローマンさんのいとこやご友人も戦っているとお聞きしました。
オデッサにいるいとこは、志願兵をやっている。オデッサは、かなりロケットやミサイルで攻撃されているけど、直接の戦闘はないんだ。彼は警備や街の防衛任務を担っていると思うよ。
学生時代の恩師もドネツクで軍に加わっているよ。少し前に話したとき、とても大変だと言っていたよ。僕の級友も軍に入って、前線に武器や食料・燃料を供給しているよ。
いまのところみんな元気だよ。様子を聞くために毎週話をしているんだ。
そういえば、日本からの支援物資で、マルボロのタバコが届いたらしいんだ。「なんで日本からマルボロが!?」だなんて、驚いていたよ(笑)
―彼らの無事を祈っています。
ああ、僕もだよ。
―プーチンは「ウクライナにネオナチがいる」ことを侵略の名目としています。どう思われますか?
もちろん、「ウクライナにネオナチは一人もいない」と言うことはできないと思う。ネオナチはもちろんいるけど、それはロシアにもいるし、日本にもいる。でも、ウクライナについて言えば、僕個人としては「私はネオナチだ。人を殺したい」なんて言っている人に全く会ったことがない。このことを本気で伝えたい。プーチンからこの(「ウクライナにネオナチがいる」という)発言を聞いて僕は、「なんてばかなことを言っているんだ」と思ったんだ。なぜなら、もちろんネオナチは世界中のあらゆる国にいるからだ。僕ら(ウクライナ)の政府と人々がネオナチだと言われてひどく寒気がしたよ。僕はネオナチに全く会ったことがないからね。確かにネオナチはいるけど、国家そのものがネオナチだと判断するにはその人数はあまりにも少なすぎる。だから、こんなプーチンのメッセージには僕は同意しない。
―二〇一四年にロシアがクリミアを併合し、東部の二州に「人民共和国」が作られた時のことを教えてください。
当時僕はフランスで博士課程に入っていたからウクライナにいなかったんだ。クリミアの併合は本当にあっという間の出来事だった。みんなロシアがウクライナを攻撃したと理解するのに時間がかかったようだったよ。
セベロドネツクも占領されて、僕の家族はハルキウに避難したんだ。でもウクライナ軍がすぐにロシア軍を追い返したから、今とは全然状況が違う。その時は被害を受けた建物はほんのわずかだったし、こんなにもたくさんの人の血が流されることもなかったんだから。今ではもう街がなくなってしまった。でも当時、僕も家族もウクライナ軍が町を取り返してくれると信じていたね。今も同じだよ。彼らがきっと町を取り返してくれると僕は信じてる。
「戦争が始まり、人々は団結した」
―私たちは前期、ホロドモールについて学びました。ウクライナの人には「プーチンはスターリンだ!」と言う人もいるそうです。
僕は両者が人々を殺し、血塗られた歴史を積み重ねる点や、いくつかの政治手法では共通していると思う。けど、僕は両者が同じだとは思わないな。イデオロギーが異なっているよね。
ソ連のイデオロギーは、宗教を嫌う「共産主義」に基づいている。スターリンのイデオロギーは、ツァーと結びついていた教会を排除するものだ。ツァーの時代に教会は重要な役割を担っていたんだ。そこにスターリンが登場して、完全に新しい社会を作った。
だけど、プーチンは宗教に依拠している。彼はいつもインタビューで「われわれロシア人は特別で、ロシアは神に祝福された国だ」と言っているんだ。本来は混ざりえないツァーとスターリンをミックスしているんだよ。そうすれば未来を創れると考えたんだね。プーチンのイデオロギーは、ヤクザじみたもので分別も信条もない。(兵士の)動員を見ればわかることだよ。ロシア政府は、市民を通りから連れ去るんだ。「許してくれ。私には仕事があって、子どもがいて...」と頼んでも、「ダメだ、ダメだ! お前は戦場へ行くんだ」と言われるんだ。なんて犯罪的な国なんだと思うよ。
プーチンの行いで、多くのロシアやウクライナの人々の無用な血が流された。これはスターリンの時代と共通している。けども、違う点の方が多いと思うよ。
―「ロシアが中心だ。ウクライナもベラルーシも全部ロシアだ」とする大ロシア主義である点は共通していませんか?
なるほど、それには賛同するよ。戦争などで野蛮な戦略をとる点や帝国的な考え方はとてもよく似ているね。
―ウクライナでは、ほとんどの人がホロドモールについて知っているそうですね。
もちろん僕も知ってるよ。高校でも学ぶ。ホロドモールを生き抜いたひいおばあちゃんは、僕に実体験を語ってくれたよ。まさに本で描かれているみたいに、たくさんの人が亡くなったそうだ。村の通りを歩くと、人々が横たわっているんだ。スターリンのせいで食べ物がなかったからだ。人が人を食べるカニバリズムもあった。だから、ウクライナの人たちはみんな、ホロドモールのことを知ってると思う。
―いまウクライナの人たちは、どのような思いで戦っているのですか?
シュへービッチやバンデラによる第二次大戦中の戦いを想起して戦っている人はいると思う。当時ウクライナ軍はドイツのナチとソ連の両方と戦ったんだ。みんな独立や主権を守るために戦っているんじゃないかな。
―ウクライナでは若い男性ばかりでなく、全国民がロシア軍に勇敢に立ち向かっていますね。
戦争がないときはウクライナ国民はお互いにちょっと冷たいほうで、今のような団結はなかったと思う。でも戦争が始まって、何かが変わったんだ。僕も今は、もし誰かが僕の助けを必要としていたら、最善を尽くそうと思う。祖国が人々を必要とすれば、みんなが一つになるんだ。子供もそうだ。父親が兵士であれば、その息子は同じように勇敢になりたいと思う。女性もそう。ウクライナの女性はとても強いと感じる。今こそ一つになって国を守るべき時なんだ。僕は日本にいるから、お金で支援ができる。日本から物資を送ることもできる。まぁでも、戦争が終わったらみんなこれまで通り、普段の生活を送るのかもしれないけどね(笑)。
僕はこの団結の引き金はゼレンスキーだったと思うんだ。彼は逃げなかった。大統領はこの状況にいかに立ち向かうべきかという模範を、全社会に示したんだ。そしてもちろん、兵士たちも勇敢だった。この二つのことが、とても重要だったと思う。
―ウクライナの人からは「アメリカやEUからの武器支援は不十分」という声を聞きますが、欧米の政府の姿勢についてどう感じていますか?
ウクライナ軍の総司令官・ザルジニーは「今はとても偏った状況が存在している」と述べている。
ロシアは武器を持っている。だから例えば、ミサイル「カリブル」を撃つことができる。「カリブル」はカスピ海から発射され、2000キロメートルを巡航する。でもウクライナには現在、HIMARS(高機動ロケット砲システム)しかない。これは100キロメートルも飛ぶことができないんだ。なぜロシアは出来て、ウクライナは出来ないのか? 僕が重要だと思うのは、均衡状態を作り出すことだ。
ロシアは軍事目標のみならず民間施設も攻撃している。もしウクライナに長距離ロケット砲があれば、弾はロシア国土に到達するだろう。それを使用する必要はないけれど、こうした武器があれば、ロシアに攻撃を再考させることができるんだ。「もし我々がウクライナを攻撃すれば、大変な手で反撃されるかもしれない」と。ロシアは必要な武器を自由に使い分けることができるけれど、今のウクライナは違う。相手と同程度の軍事力を持たなければならない。兵力の均衡が、状況を変えるだろう。
―いまロシアでは、予備役の動員に反対するデモが起こっています。ロシアの人々に言いたいことは何ですか?
動員が始まった日に街頭に出た人々はすごく勇敢だと思う。それはとても危険なことだったからね。彼らは警察に逮捕され、男性は戦場に行かされたんだ。でも僕は、もっともっと多くの人に勇敢になってほしい。初めの一歩はいつだって難しいからこそ、偉大なことだと思うんだ。
プーチンが「特別軍事作戦」を宣言した時、多くのロシア人は「私たちは沈黙する」と言ってしまった。僕はそれは誤りだったと思うよ。でも動員の後、すべての人たちが気づいたんだ、「ウクライナに行かされるなんて思ってなかった!」って。彼らはもう失うものは何もない。僕は彼らに言いたい、「沈黙してはだめだ。何かをしなければならない」と。抵抗したら彼らは捕まってウクライナに送られるかもしれない。それでも彼らは闘うべきだと思うんだ。こういうことが日本の人たちには奇妙に聞こえることはわかるよ。でも、この戦争を外交によって終わらせられるタイミングは過ぎたんじゃないかな、残念だけど。だからロシアの人々は彼ら自身の自由と民主主義のために闘うべきなんだ。彼らは本当の革命をやる以外にないんだ。もし彼らが闘うのなら、みんなが彼らを支えると思う。
―私も彼らにプーチン政権を倒してほしいと呼びかけたいです。
そう、それ以外に道はないんだ。僕たちはプーチンを止めなければならない。
「戦争が続き人々は殺されている。それを忘れないでほしい。」
―お母さんのオレナさんが日本に来るにあったってどのような支援を受けたのでしょうか?
僕自身は不要だったから支援を受けなかったけれど、母はたくさんの異なるサポートを受けた。「ジモティ―」を通じて、多くの人が服や食器などをくれた。とても感動したよ。母はバックパックに少しの荷物しか持ってきていなかったから。石川県は、母を留学生交流会館に入居させてくれた。金沢大学のアイーダ・ママドゥーヴァ先生や志村恵先生も大いに手助けしてくれた。母はロータリークラブや日本財団から金銭的な支援を受け、ウクライナ大使館にはポケトークをもらった。
町の人からも行政からも、本当に助けてもらったよ。これが日本史上初の難民受け入れにもかかわらず、よく体系化されていたのに驚いた。ただ、母が仕事を探し始めたとき、公的支援はなかった。母は日本語も英語も話せない。母は日本でできた友人に手伝ってもらえたけど、ウクライナ人にとって職探しはとても難しいと思う。それが唯一の問題かな。
―ウクライナ侵攻が続いているなかで、金沢大学や日本の学生に伝えたいことを教えてください。
日本では、戦争が遠く感じられるというのは事実だと思う。信じられないことだけど、戦争が始まってもう七ヶ月も経つんだ。ニュースを見るのを止めて、目をつぶってしまいたいと思う人も多いんじゃないかな。それも分かる。でも、戦争は続いていて、人々が殺されている。それこそが僕らが止めないといけないことなんだ。いろいろなことができると思う。例えば折り紙なんかを兵士たちに贈るんだ。なんでも良いと思う。とにかく、支援を続けることが重要なんだ。何故ならウクライナの人々は民主主義的価値のために戦っているんだから。この戦争は過去と未来の間の戦争なんだ。そして、プーチンは過去を選んだ。彼は帝国を作り上げたいんだよ。彼はソ連を夢見ているからね。でもウクライナは、世界は、技術や医薬品や科学の発展する未来を選んだ。そして歴史は、未来がいつでも勝つことを示している。だからこそ、ウクライナは金沢大学の学生からも支援を必要としているんだ。
僕は今回のインタビューにも本当に感謝しているんだよ。誰かがこの記事を読んで思い出せるんだ、"あぁ、戦争はまだ続いているんだ。自分にも何かできることはないか"って。それが大切なんだ。
―今日はありがとうございました! Дякую!
僕の方こそありがとう! 戦争が終わったら、みんなで乾杯しよう! Буд'мо!
―Буд'мо!